初めてのロードバイク購入

サイクリング

「イタリアと自転車のきっかけ」に書いたように、家族との思い出作りからはじまり、
Bianchi(ビアンキ)自転車を物色するに至った。
自分が住む横浜市にはビアンキ横浜・直営店があることがわかり、早速お店に行ってみた。
2019年6月あたりのことだ。


イタリア・ブランドのお店らしく、店内の雰囲気作りからして徹底していて、明るくお洒落だ。おいてある自転車は皆、チェレステ・カラーという緑系のブランド・カラーの車種がほとんどで、眩いばかりの輝きだ。
其の後、何度か店に足を運び、選んだのは「Impulso(インプルーソ)」というタイプのロードバイクだった。
数あるBianchの車種の中ではそれほど高額のタイプではなかったが、最初なので自分がどれほどのめり込むか?わからないし、あっさり挫折するかもしれないと考え、まずはこの自転車でスタートすることにした。


中学時代のサイクリングの思い出

こういうサイクリング車は全く初めてではない。
遠い少年時代、中学校1年生の時はサイクリング車ブームだった。
「ロードマン」という自転車等が売れていた。
当時は長距離サイクリングは”ランドナー“といってハンドル部分にカバンがつけられ、やる気になれば後輪部分にキャリアを載せてキャンピングっぽくできるようなタイプや、今のロードバイクに近くタイヤが細くスピード重視のタイプを”スポルティーフ“と言うジャンルの呼び名のタイプ等があった。
他にも本格的な”キャンピング“仕様の高価な自転車もあったが、中学生の自分には高額すぎて羨望の眼差しでカタログを眺めるにとどまっていた。
私は“ランドナー”タイプの自転車を買って、学校の友人とサイクリングに行った。
当時住んでいた実家は、東京都練馬区で、学校の遠足にも行っていた飯能~秩父あたりは恰好のサイクリング先のターゲットだった。
正丸峠は当時の定番だった。
当時の自分たちの脚力と重装備の自転車では、途中足をついて自転車を押して歩いたりしながらなんとか峠の頂上に着くのが、普通だったと思う。
中二の夏休みは、仲の良い友人と二人で奥秩父の方の民宿を予約して、一泊二日のサイクリング旅行に行った。当時はインターネットなど当然なく情報もかなり限られている。
正丸峠を超えてからの奥秩父の山道の知識もなく、紙の地図だけを頼りに走った。
正丸峠で体力も消耗したが、奥秩父への道のりはさらに長く、友人は疲労困憊だった。
道は細くなり陽は暮れてくる。
励ましながらなんとか日没後まもなく旅館に着いた。

部屋に通されたが虫だらけの布団を見て愕然とし、とにかく食事をとり風呂に入り、疲れ切って就寝。二日目の記憶があまりないが、帰りがけに友人が“こんなの一泊二日のコースじゃないよ”と笑って語りかけてきた記憶だけは今も鮮明にある。

サイクリングと言えば、中学生当時のイメージが強く、脚の限界まで振り絞ってペダルを漕ぐもの、というイメージがあった。
しかし目の前にあるBianchiの自転車には、汗のイメージがない。光沢のあるフレームは、乗る人に”洗練された乗り方“を要求しているように見えた。

時代は大きく変わっている。
何はともあれ、久しぶりのサイクリング自転車だった。
もっとも今は”サイクリング自転車”などとは呼ばない。
”ロードバイク”だ。


(終)
2020年3月14日

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