「ツール・ド・フランス2020」感想記

サイクリング


(Photo credit : © A.S.O.)

「ユンボ・ヴィスマ」優勝への挑戦

自転車ロードレース競技「ツール・ド・フランス」。数あるロードレース競技の中でNo1であるだけでなく、オリンピック、サッカーW杯と並んで世界三大スポーツと称されるイベントだ。
昨年からロードバイクに興味を持ち始め、今年の9月のツール・ド・フランス2020は興味を持ってレース結果を観ていた。

例年は7月開催のこのイベント、今年はコロナウイルス禍の影響があり、8月29日から9月20日に予定変更された。他のロードレース競技イベントも軒並み夏以後に開催日変更、あるいは開催中止に負いこまれた。ツール・ド・フランスも開催中止が危ぶまれる中、無事に開催された。

私は自分が乗っている自転車のメーカー、Bianchi(ビアンキ)がサポートしているチーム、「ユンボ・ヴィスマ(Jumbo Visma)」を応援して観ていた。自分の乗っている自転車のチームに愛着が沸くのは自然な流れとしても、このチームを応援したくなる理由が他にもあった。
2010年代前半まで名門チームだった同チーム(スポンサーが違うので当時は別名)だったが、大手スポンサーが離れたのを機に、チームは一気に低迷。2010年半ばから組織の再改革を図り、2010年代後半からは、苦しい財政台所の中、徐々に再生し始めていた。
ワールドチームでは財政力も実力もNo.1の王者チーム「イネオス グレナディアーズ」がいる。
昨年のツール・ド・フランスでは、新人賞と優勝を獲得した若手の新星、エガン・ベルナルと2018年ツール王者ゲラント・トーマスが2位と“ワン・ツー・フィニッシュ”を決めている。
今年はゲラント・トーマスが不調でエースはエガン・ベルナル一人のチーム構成で臨んでいる。


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今年も盤石の布陣か?というとそうではない。
夏から始まったワールドクラスのレースで圧倒的な存在感を遂げているのが「ユンボ・ヴィスマ」だ。
「イネオス グレナディアーズ」の年間予算半分以下のチームは、この5年で育て上げたエースのプリモシュ・ログリッチを筆頭に、同様に育ったメンバーや外部から獲得した選手により非常に層の厚いチームを誇っている。
スポーツ漫画のサクセス・ストーリーのような道のりを歩んでいることが、応援したくなるもう一つの理由だ。
悲願のツール・ド・フランス個人優勝に向け大会に臨んでいるこのチームを、Bianchiの自転車に乗っていない人でも応援している人は多かったはずだ。

ツール・ド・フランスは約3週間に渡り1週間ごとに連戦が行われる。急な峠に強い選手に有利なコースや、平地のスプリントに強い選手に有利なコース等バラエティに富んだコース編成が毎日行われ、総合トップやいくつかのポイントで競う賞が用意されている。
この総合得点の優勝者を「マイヨ・ジューヌ」と呼ぶ名誉が与えられるのだ。
ロードレース競技は落車による怪我のリタイヤが多いスポーツだ。
密集しながら集団で走るので、他人のアクシデントに巻き込まれる可能性も多い。
毎レースのチーム戦略や実力、そして運が必要な3週間にわたるサバイバル・レースである。

王者ベルナルの挫折

マイヨ・ジューヌ獲得に向け、王者「イネオス グレナディアーズ」に立ち向かう「ユンボ・ヴィスマ」という構図で始まった大会だが、後半で波乱が起きた。
ログリッチはStage4で勝利を飾るとState9では遂に総合トップに躍り出る。
そして2位にはイネオスのベルナルがつけ、ファン予想通りに戦いとなる。


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強力なトレインで走る「ユンボ・ヴィスマ」集団に対し、イネオスのベルナルはその後浮上することなくStage13では後れを広げ、総合3位に落ちてしまう。
本大会ではベスト・コンディションでない様子だった。代わって総合2位に躍り出たのは、ログリッチと同じスロベニアの若きタデイ・ポガチャル。
3人による争いとなると思われたが、Stage15で大きな異変が起きる。
ベルナルが大きく後退し、完全に総合順位争いから落ちてしまうのだ。


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この日のレースの後の関係者のコメントは特筆すべきもので、ロードレースに興味のない方であっても共感できる内容だと思うので紹介したい。

まずは当の本人である昨年王者ベルナルのコメントから。

「ベストを尽くしたし、昨年のツールからこのレースの為、僕たちの夢の為に毎ステージ僕たちは全力で走っている。持っているもの全てを出して最後まで戦った。昨日は最初の山岳から苦しみ遅れそうになっていたにも関わらず、力尽きるまで戦い続けた」
「毎日ベストを尽くすために走った。レースに対する敬意が勝っていたおかげで、プレッシャーは感じなかった。世界でも有力な選手が集う世界で最も難しいレースだと理解していたから、ここに来てベストの走りをしようと思っていた。だからプレッシャーではなく、レースと選手たちへのリスペクトの方が勝っていたんだ。」
「まず回復をし、チームメイトの手助けをしたい。ボトルを運んだり、今までしたことのない仕事をだ。それが今僕がしたいことで、彼らを助け、レースを楽しみたい。この後の数日は総合順位を忘れタイムを失ってでも逃げに乗ったりしたい」

一番悔しいはずであろう本人のコメントは、満身創痍の体で絞り出すように毎日のレースを耐えた足跡が痛いほどうかがえた。
若き王者が、自分の優勝が絶望的となっても、気持ちを切り替えてチーム・メートへの献身的な役割に翌日のレース以後の意義を見いだそうとしているところが切ない。
ベルナルの敗北は世界中のファンだけでなく、最も近くにいるチームにも大きな衝撃を与えた。チームメイトで年上のミハウ・クフィアトコフスキは、ベルナルの敗北についてこう語った。

「昨日のステージは僕らにスポーツの美しさを見せてくれた。何も保証されてはいないのだということを。」
「このレースでエガンは素晴らしい走りを見せた。彼は(昨日のようなステージでも)最後まで戦い続けた。いまの彼には僕らやチーム、特にファンからのサポートが必要だ。これが彼のキャリアにおける大事なステップになるだろう。大切なのは何度失敗してしまったのかではなく、そこから何度這い上がるかだ。いまは彼がここから這い上がる時。だから彼にはファンの応援が必要なんだ。」

ベルナル、そしてチームメイトのクフィアトコフスキのコメントは、美しく感動的だ。
このコメントを読んで、自分がロードバイクを好きになって本当に良かったと思えた。
実際に翌レースのStage16ではチームメイトのためにボトルを運んだりしてトップから実に27分27秒遅れでゴールしたベルナルは、レース後チームの判断で名誉ある撤退を選んだ。
昨年の王者には相応しい役割がある。
王者が戻るべきは王者の場所だ。

すり落ちた完璧な勝利

最大のライバルベルナルが退場した本大会、ユンボ・ヴィスマのチームワークが冴えわたり、その後のレースも黄色のジャージ姿のユンボ・ヴィスマ集団がレースをコントロールしていく。


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そして総合タイムでログリッチは着実に首位をキープしていく。
ツール・ド・フランスは伝統的に最終レース(Stage21)は上位者は競い合わない。
パリに戻りシャンゼリゼ大通りを凱旋するのだ。
総合優勝者の勝敗を決するのはその前日のStege20となる。
Stage20は個人タイムトライアル(TT)で、チーム・プレイは一切なく、一人一人がスタートしてタイムを計る。
ログリッチはTTの実力者だ。2位で追う若きポガチャルも勢いに乗るが、前日までにログリッチは57秒ものリードをつけている。
スロベニア人同士の先輩後輩による同胞対決だが、仲の良い二人の1位2位が確定するレースで、このシリーズ、兄貴分的にログリッチがポガチャルを思いやってレースを続けてきたのを見てきたファンにとっては二人に対するお祝いムードが漂っていた。

しかしStage20は、思いもよらぬ残酷な展開となった。
スタート順は総合順位の下からで、最後にこの二人がスタートする。
先にスタートした2位のポガチャルは快調に飛ばしていく。
一方のログリッチは全員のタイムの中では悪くないものの、時間が進むたびにリードを失っていく。勢いは変えられない。

ポガチャルは2位のユンボ・ヴィスマのデュムランを1分21秒も上回るトップでゴールを駆け抜けた。

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一方のログリッチは5位に終わるタイムで、最後は力尽きたのか顔面蒼白の表情でレースを終えた。


(Photo credit : © A.S.O.)

総合順位も逆転し、ポガチャルがログリッチに59秒のリードをつけて優勝を確定した。
私のようなユンボ・ヴィスマのファンにとっては悪夢の大逆転劇だ。
終わってみれば昨年のベルナルに続く若き新星王者の誕生劇だった。


(Photo credit : © A.S.O.)

当初は、長年王者に君臨する「イネオス グレナディアーズ」チームに、年間予算半分以下でやりくりをして選手育成を地道に行い頭角を現した「ユンボ・ヴィスマ」が本年最強チームを率いて念願の優勝を果たす、そんなストーリーだった。
それが鉄壁の「ユンボ・ヴィスマ」のチーム力に挑んだ一人の若者の大逆転劇、というドラマとなったのだ。
ポガチャルの新鮮な挑戦と結果には素直に祝福したい。
しかしBianchiファンにとっては今回の敗戦は非常に残念だった理由がある。

ツール・ド・フランスが行われる前から、「ユンボ・ヴィスマ」は来期から別のメーカーのロードバイクに乗り換える、という噂があったのだ。
そしてこれを書いている現在、その噂は現実となっている。
自分が乗っている自転車のチームのツール・ド・フランスの悲願の優勝を一目見たかった、という小さな夢が最後の最後で打ち砕かれたのだ。

Stage20のゴール後、茫然と座り込むログリッチの姿は印象的だ。


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しかしその日のレース後のコメントでは、ベルナル同様、前を向いた風格のあるコメントを残していたのが救いだ。
最終日の表彰台では我が子を連れて上った姿を見せ、ファンを安心させた。

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これを書いている現在、ロードレースの世界3大レースの最後、ブエルタ・ア・エスパーニャの真っ最中である。
「ユンボ・ヴィスマ」は再びログリッチを中心にチームを送り込んでいる。
ログリッチはStage12を終えた現在、10秒差で2位につけている。

今年の3大レース最後のレースで、Bianchiファンに有終の美のプレゼントをくれるか?
固唾をのんで見守っている。


(終) 2020年11月2日

(当ページの画像、全て(Photo credit : © A.S.O.))

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